9月に義母が亡くなりました。
すごく凛としたいつも綺麗にしている素敵な義母でした。
今年のお正月、主人は先に実家に帰っていて、私と娘と婿の3人で宮崎の実家に向かいました。婿は初めて嫁のおばあちゃんに会うのでとても緊張していました。
実家にいる主人に お土産何がいいかなぁと尋ねると あんまり食欲もないからお菓子とかいらないよ。と言われ そっかーいつもあんまりお菓子とか食べないもんね。っていつもサラダは食べてるからと 物産館でおいしそうなドレッシングとお茶菓子におせんべいを買いました。
実家に着くと え?ってびっくりするくらい元気がない。
お茶を入れたり、立ったり座ったりして 優しそうな彼だね。Kちゃんをよろしくね!って言ってもてなしてくれるんだけど 言葉にも全然覇気がない。
座って二人で話をしていると 年末から全然食べられないのよ。って。
食べたら おえってなる。って。
病院にも行ったんだけどね。って。
でも食べなきゃ倒れちゃうから 少しでも食べようか、水分だけでも摂ろうって 話してうん、うんって言うけど 食事も全然食べなかった。
主人は男3人兄弟の長男で、義父が元気はころは兄弟家族全員集まって毎年賑やかなお正月でした。義父が7年ぐらい前に亡くなってからは 義母はたくさんの食事の準備も疲れるし 最近はコロナで人が集まることをとても怖がっていたので みんなで集まることも控えていたんだけど あまりにも元気がないので お嫁さんたちに連絡して 少しでもいいからお義母さんの顔みにきて。元気でるかも。ってお願いしました。
交代でみんなで 顔見に行って かかりつけの病院がお正月休み終わると同時に点滴打ちに連れていきました。
病院の先生も 年末から体重が激減しているのにびっくりして ちゃんと食べなきゃだめだよ!って声がきこえました。
その週は 毎日点滴打ってもらって 行けない日は先生が往診に来てくださって 週末また顔見に行ったら とても衰弱していて その夜は救急車を呼びました。
でも そんな時は急に元気がでて 何ですか?私は元気です。食事も水分も摂ってるし救急車には乗りません。って拒否しちゃいました。
一応バイタルチェック上 救急は感じではなかったらしく 帰っていかれました。
翌日 やっぱり心配だったので かかりつけの先生に紹介状を書いてもらい 主人が大きな病院に連れて行きました。
そこで まさかの診断・・・・
肺がん末期。余命3ヶ月・・・
喉のリンパにも転移していて 腫れて何も喉を通らない状態だったそうです。
がんの告知は本人にもあって、あんなに入院を嫌がっていたんだけど 私ももう少し頑張らないとね!ってリハビリとかがんばっていました。
最初は 病室までいって 何か必要なものある?と聞くと 化粧水持ってきて!歳とっても肌はきれいでしょ?ってニコニコして話ができたんだけど コロナ禍でだんだん面会ができなくなり、よく電話はきていたのでその度にみんなで手分けして 色々と持っていきました。
主人は 洗濯物を口実に毎週病院に通い、よく看護婦さんにお菓子の詰め合わせを渡していました。義母が元気な時も義父が亡くなってからは隔週位、末っ子のサッカー終わったら毎週のように実家へ行き、外出を嫌がる義母を連れ出してランチに行ってました。
私も一人ぼっちになった時、息子が毎週ランチに連れて行ってくれたら どんなに嬉しいかなぁと 遠慮して見送っていました。
あんなに 時間も考えず 色んな人にしていた電話もだんだんとなくなり、電話してもでなくなり 度々病院の先生に呼ばれることも多くなり 少しずつみんなの覚悟ができてきた頃、PCR受けて面会に来てくださいと連絡がありました。
福岡にいる 一番かわいがっていた三男が面会にきた翌日息を引き取りました。
私の父もそうだったけど、家族に会えると安心して 天国に旅立つのかなって。しみじみ思いました。
それからが ちょっと大変でした。
亡くなったのが日曜日だったんだけど、コロナの影響で金曜日しか火葬場が空いていないということで 長く葬儀場を貸してくださり 義母とみんなで長く一緒にいれました。
納棺の儀の前に体を洗ってくださる儀式があり その時に洋服に着替えられるということで 山のようにある素敵なお洋服の中から きれいな旅立ちのお洋服を決めました。
体を洗ったり洋服を着せ、お化粧まで 私と弟嫁と姪っ子とお手伝いをしたのですが ずっと肌はぴかぴかしていました。
その翌日です・・・
うちの長男Dが群馬から帰ってきて、長女Kと次男Yと3人で宮崎に向かってくる予定でした。
夕方 母から電話があって Yが冷えピタおでこに貼ってるけど大丈夫??って。
Yに電話したら 38度だけど大丈夫。コロナじゃない!って。
いやいや フェス行って3日後だし38度あったらコロナでしょ・・・
あの頃。。コロナ爆発的でしたから 私は鹿児島 宮崎を行ったり来たりしていて Yには普通に接触していたので、主人から濃厚接触者だから帰って。ここにコロナ持ち込んだら大変なことに・・・
確かに。男兄弟3人だけはどうしてもコロナに感染させられない。
でも熱下がったら コロナじゃないかもしれないから Y連れてくるね!!
とUターン。都城のドンキで 長男アンド長女と10分位話しして帰りました。
長男とは数年ぶりだったのに。
翌日メラメラとウイルス放出している高熱のYをPCRに連れていき 2時間位同じ車の中にいて
こりゃ葬儀場行ったらダメだなぁと確信しました。
葬儀告別式も無事に終わり、私はただただ空を見上げることしかできませんでした。
翌日、長男が群馬に帰ることになっていて、家族ラインで
もうすぐ 帰り着くけど なんかヤバい。また帰って熱計って連絡します。って。
え??まじ??
3日も4日も親戚みんなでいたけど^^;
その翌日の夜、全てすませて みんなと別れて帰ってきた主人も
なんかヤバい。
ちーん。娘は5月、私は8月に罹患していたので、今回はセーフでしたがY、D、主人と次々に罹患していきました。
心配していた親戚はみんな大丈夫でした^^;
そんなこんなの後、無事に10月に四十九日もすませることができました。
主人に四十九日の後、みんなで形見分けしていい?と聞くと そんな無理矢理もらっても迷惑な人もいるんだからね。
って言ってたから、全て終わって 何か欲しいものあったら もらっていけば?
みんなまたいつ実家に集まれるかわかんないんだから。って私がぼそっと言ったら
20歳の姪っ子2人が 古着屋さんかのように奥の衣装部屋から どっさりきれいにしまってある洋服を持ってきて試着していました。義母はデパートガールだったのでデパートで買ったような古いけどきれいな洋服がいっぱいでてきました。
私達嫁も ゴムなら入るかもって 数枚ずつもらいました。
あんなこと言ってた主人も びっくり!!
孫がおばあちゃんの洋服こんなにたくさんもらってくれて めっちゃ喜んでるよ!!って。
私は リビングのサイドボードに並んでいるハンドベルを子どもたち3人に形見としてもらって渡しました。
義母は ママさんコーラスでずっと唄っていて、色んなところに行っていました。
カーネギーホールでも歌ったよって若い頃言ってました。
たぶんあちこちで集めたベルじゃないかな。すごくいい音色でまるで義母の笑い声が聞こえてきそうです。
今週末は 宮崎で 青島太平洋マラソンがあります。主人が参加します。
去年も参加して お義母さんが応援にきてくれてたそうです。
今年も天国から 父と一緒に応援してくれるような気がします。
長くなりましたが 最後まで読んでいただきありがとうございました。
明日もみなさんに 何かいいことありますように♥